流行
この玩具、自転車ほどではないにせよ結構スピードが出る上に当時は健康ブームの到来で「面白いレジャースポーツ用器機」と注目されたことから、同社への「もっと上の年齢層も乗れる製品を」という声もあった模様で1976年には車輪を強化して全体的に一回りほど大型化したGOGO7を発売、こちらも発売前から大変な注目をあつめた。
当時はテレビなどで盛んにコマーシャルが流れるなどしており、後の『ちびまる子ちゃん』にも同製品が登場、作者であるさくらももこ自身の少女時代をモデルにした主人公も欲しがっている([2])。
なお新幹線の東京-新大阪間運賃が当時5,510円という時代で、またテレビゲーム流行以前で子供に数千円もするような玩具を買う機会も滅多に無かったことから、児童向けとしてはそれなりに高価で憧れの玩具であった。
この流行当時、これらを持っていた子供らやその友達はこの玩具を庭先や公園・路地裏などで替わりばんこにひたすら乗り回したりして、時間を忘れて遊ぶ様子が全国各地で見られた。また当時の流行の例に漏れず、幾つものコピー商品も発売されている。
ブームの終焉
このように急速に社会に流行したローラースルーGOGOだが、日本ではこれに乗って公園や路地裏はなおのこと交通の多い公道で遊ぶ児童も後を絶たず、1976年の春頃にトラックに巻き込まれるという痛ましい交通事故が立て続けに2件発生、報道に危険な玩具として取り沙汰され、激しいバッシングの対象となった。
当時の日本における道路事情だが、高度経済成長以降の安定成長期の中で地方都市でも建設ラッシュがおこり、歩道やガードレールも無い狭い路地をダンプカーが走り回ることもままあったことから、全国的に児童の飛び出しや左折時の巻き込まれによる事故は多発していた。くわえて地方都市では歩道の整備の遅れによって他の交通事故も多発、「交通戦争」という語が用いられていた。1975年はこのピークが少し過ぎた程度で、まだまだ地方市町村では道路の安全整備は等閑となっており、児童が安心してこのような乗り物に乗って遊べる児童公園のような施設整備が進むのは更に数年〜十数年後のことである。
日本では1971年に玩具業界の日本玩具協会が「玩具安全マーク制度(STマーク)」を開始、社会的にも「玩具の安全性」が注目され始めた時代でもあったため、危険を訴える報道に児童の保護者が反応、突然売上が途絶えたという。なお日本では製造物責任法(PL法)などはまだなかったため、メーカー側の開発者は事故原因究明のために警察で保管されていた事故車体をチェックをすることはできなかった。
この時、発売開始されたばかりのGOGO7も殺到していた注文が途絶え、このため日本国内では少数しか出まわらなかった。
突然の流行によって街に溢れたローラースルーGOGOは当時の警察にとっても交通安全の上で見逃せない要素となっており、2件目の事故発生直後に乗り物としての安全性を疑問視して製品テストを行う旨を発表している。
この製品テストで警察はローラースルーGOGOを2週間にわたって調べたが、とくに構造上に問題は無いと発表している。しかし発表が出るまでの間にもメディア上でのバッシングは続き、ついに人気が回復することなく注文は途絶えたままとなり、ブームは突然に終焉を迎えている。
この市場崩壊で発売元では販売継続を断念し、製造中止となった。開発者によれば、このとき売れ残った製品は既に“ Honda Kick 'n Go ”として販売していた米国への輸出に振り向けられたという。